「鎖国」(さこく)という言葉に対して、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
人によって様々な考えがあると思いますが、最も一般的なのは、江戸時代に行っていた「諸外国との一切の交渉を行わない」ことによるマイナスの印象ではないでしょうか。これには、江戸末期の開国(かいこく)によって、我が国がこれまでに経験したことのない大きな混乱の時代を迎えたという現実も後押ししていると思います。
諸外国の圧力に屈して無理やりに開国させられたばかりでなく、我が国にとって不平等条約(ふびょうどうじょうやく)を結ばされるなど、失態続きの幕府はやがて世間から見放され、我が国は明治維新(めいじいしん)へと一気に進んでいきました。
我が国がアジアで有数の独立国として、19世紀後半以後の食うか食われるかの帝国主義(ていこくしゅぎ、政治や経済、軍事などの面で他国の犠牲において自国の利益や領土を拡大しようとする思想や政策のこと)の荒波にもまれることもなく、独自の道を歩めたのは素晴らしいことですが、その一方で開国までの準備期間の不足による様々な矛盾(むじゅん) は、後々(あとあと)にまで尾を引きました。
しかし、鎖国に対するマイナスイメージの代名詞たるこの「開国による混乱」が、もし回避(かいひ)できていればどうなったでしょうか。いや、実際には十分回避できる可能性があったのです。
それがなぜできなかったのでしょうか―。




いつも有難うございます。
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さすらい こんばんは。
おお、鎖国時代に飛びましたね。
十分回避できる可能性
楽しみに聞いてみます。
応援♪
さすらいさんへ
黒田裕樹 > おお、鎖国時代に飛びましたね。
月に一度の歴史講座では、時代に関係なく、様々な出来事を自分なりに掘り下げてみたいと考えております。
> 十分回避できる可能性
> 楽しみに聞いてみます。
有難うございます。是非ご期待下さい!
相模守高時 まったくの勉強不足なのですが
やはりキリシタン対策ですかね、鎖国。
それと貿易や外交権限を幕府が握ることが
徳川の安泰につながるということも
家康さんは考えたと学んだような気がします。
回避できた可能性。。。楽しみにしております。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > やはりキリシタン対策ですかね、鎖国。
> それと貿易や外交権限を幕府が握ることが
> 徳川の安泰につながるということも
> 家康さんは考えたと学んだような気がします。
おっしゃるとおりです。
もっぱらキリシタン対策ですが、「もうかる」貿易を独占したり、外交関係を一手に握ることが幕府の安泰につながる、と考えた節もあります。
> 回避できた可能性。。。楽しみにしております。
今日(1日)の6時からの記事でそのヒントを書いております(笑)。
18時にはもう少し明らかになりますよ。
MAHHYA 初めまして。
トラックバック失礼しますm(_ _)m
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > 初めまして。
> トラックバック失礼しますm(_ _)m
こちらこそはじめまして。
ご連絡が遅くなりましたが、トラックバックOKですので、宜しくお願いします。
「『鎖国』という名の悲劇」について語る前に、まず我が国がなぜ「鎖国」と呼ばれる状態になったのかを考えてみましょう。
そもそも江戸時代の創成期には、幕府に「鎖国」をするという考えは全くありませんでした。初代将軍の徳川家康(とくがわいえやす)は海外との貿易を積極的に考えており、我が国に漂着(ひょうちゃく)したイギリス人のウィリアム=アダムスやオランダ人のヤン=ヨーステンを保護して、貿易の交渉に役立てようと思ったほどです。
ところで「貿易」というものは、通常は必ずといっていいほどもうかります。なぜか分かりますか?
外国から「輸入する」ということは、その商品が我が国では手に入らなかったり、手に入ったとしても非常に高価だったりするのが普通です。ということは、輸入によって入手した商品は、どんなに高価でも手に入れようとしたり、あるいは安く大量に手に入れたりすることとなり、結果的に大もうけにつながるわけです。「輸出」の場合も理論的には同じです。
実際、家康の時代には「朱印船(しゅいんせん)貿易」呼ばれた、主に東南アジアとの貿易が盛んに行われていました。つまり、家康は 「鎖国」をしようとはこれっぽっちも考えていなかったと断言できるのです。
それがなぜ後には「鎖国」と呼ばれるような状態になってしまったのでしょうか。その背景には、ある「宗教」への恐怖感があったのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは~♪
朱印船貿易はちらっとですが、覚えています^^
家康は本来、鎖国をしようと言う考えは全くなかった訳なんですね。。
そうすると、やはり隠れキリシタンなどという大名が存在していたということでしょうか?
それでは、黒田さんをオガンダム

いえいえ、応援で~す

ヒロキ キリスト教を恐れていたんですね!
キリスト教信者の団体ができて、幕府に牙をむくことが十分に考えられますよね!
幕府はそのことを恐れていたのでしょうか??
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 朱印船貿易はちらっとですが、覚えています^^
> 家康は本来、鎖国をしようと言う考えは全くなかった訳なんですね。。
そのとおりです。鎖国をしようとする人間がどうして外国人を保護して外交の切り札に使おうと思うのでしょうか。ところが時代が進むと…。
> そうすると、やはり隠れキリシタンなどという大名が存在していたということでしょうか?
鋭いですね(笑)。明日の講座でまた紹介しますので、お楽しみに!
> それでは、黒田さんをオガンダム

> いえいえ、応援で~す

オ、オガンダム…(^^ゞ
これ↓のことですね(^o^)丿
http://toymomo.blog61.fc2.com/blog-entry-1962.html#comment23574
応援有難うございます!
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > キリスト教を恐れていたんですね!
> キリスト教信者の団体ができて、幕府に牙をむくことが十分に考えられますよね!
> 幕府はそのことを恐れていたのでしょうか??
さて、どうでしょうか?
単なる「牙むき」ならまだマシなんですけどね…。明日をお楽しみに!
ぴーち 再び。。
おお!またもや、私のブログ記事、リンク
していただいたんですね!
なんと、素早い(笑
いつもながら、ありがとうございま~す☆
今夜は裕樹さんと夢の中でリンク出来るように
お祈りしながら、寝ますね~(爆)
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 > 再び。。
> おお!またもや、私のブログ記事、リンク
> していただいたんですね!
> なんと、素早い(笑
> いつもながら、ありがとうございま~す☆
いえいえ、「オガンダム」の意味が分からない人のためにと思いまして…(^^ゞ
まぁ、これでぴーちさんのブログの訪問者が増えればOKですよね(笑)。
> 今夜は裕樹さんと夢の中でリンク出来るように
> お祈りしながら、寝ますね~(爆)
カープが4連敗ですので、涙目(笑)で眠ることになりそうです…(´・ω・`)
せめていい夢くらいは見たいものですね。
お久しぶりです!
h.hamauzu ご無沙汰してしまいました!
サボっている間に、授業が進んでしまって焦っております。
だめな生徒ですが、これからもよろしくしてくださいませ!
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 > ご無沙汰してしまいました!
> サボっている間に、授業が進んでしまって焦っております。
> だめな生徒ですが、これからもよろしくしてくださいませ!
いえいえ、戻ってこられるのをお待ちしておりました(^o^)丿
現在は6月27日の講座を順次公開しておりますので、時間の余裕のあるうちにしっかりと復習して下さい(笑)。
また鋭い(!)ご質問をお待ちしております(^_^)v
toMoka こんばんは!
ちょうど大阪旅行中に講義がおこなわれていたんですね。
家康はキリシタンに対しての弾圧がとても厳しかったと聞きます。貿易はしたいが他国の宗教は入れたくないと言う感じなんでしょうか?
いつか、講義で関ヶ原も(願!)
toMokaさんへ
黒田裕樹 > こんばんは!
> ちょうど大阪旅行中に講義がおこなわれていたんですね。
そうなんです。ご旅行、楽しめた様で何よりです!(^^♪
> 家康はキリシタンに対しての弾圧がとても厳しかったと聞きます。貿易はしたいが他国の宗教は入れたくないと言う感じなんでしょうか?
仰るとおりです。家康にとっては、キリスト教が貿易という「うまみ」に引っ付いた「余計なもの」にしか見えなかったのでしょう。もちろん家康にも言い分はありますが。
> いつか、講義で関ヶ原も(願!)
もちろん検討しておりますよ。瀞子さん一押しの光秀公のほうが早くなりそうですが…。
16世紀から17世紀にかけては、世界史では「大航海時代」と呼ばれています。これは「カトリック」(=旧教)と「プロテスタント」(=新教)というキリスト教同士の激しい対立を経て、カトリック側が新天地で布教(ふきょう)活動をすることによって巻き返しを図った、という側面もあると考えられています。
実際に、カトリック系のイエズス会が世界中の布教に乗り出した後に、スペインやポルトガルといったカトリックの国々が世界各国を支配していきました。インカ帝国やアステカ帝国といった古来(こらい)の王国が滅亡に追い込まれたのもこの頃です。
カトリックはやがて我が国でも布教を始めました。当時の為政者(いせいしゃ=政治を実行する人のこと)であった織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、南蛮貿易(なんばんぼうえき=ヨーロッパとの貿易の当時の名称)の利益を考えて布教を許可しましたが、やがてカトリックに潜(ひそ)む侵略(しんりゃく)の野望を見抜いた秀吉は、キリスト教の禁止に踏み切りました。
貿易の利益を優先的に考えた徳川家康も、晩年には同じくキリスト教を禁止しました。家康の死後はキリスト教への弾圧(だんあつ)がますます強くなり、最終的に第3代将軍の徳川家光(とくがわいえみつ)の時代に鎖国が「完成」したとされています。
我が国で「鎖国」と呼ばれた状態は、その後200年以上続きました。この間、我が国では大した内乱もなければ、諸外国による侵略もないという平和な時代が続き、結果として元禄(げんろく)文化や化政(かせい)文化などの我が国独自の文化が大いに成熟するというメリットもありましたが、その裏で「悲劇的」ともいえる大きなデメリットも抱えていました。
そのデメリットとは何でしょうか?
答えを解くカギは、私が今回何度も用いている、鎖国についての「独特な表記の仕方」です。




いつも有難うございます。
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345mama ブログにご訪問いただいてありがとうございます。
歴史が好きなわたし
また☆お邪魔させてくだいね。
では失礼します♪♪
ご無沙汰してます☆
marihime 黒田さんこんにちは~
お久しぶりというか、PCが不具合を起こしてお邪魔できませんでした。
もちろん更新も×
どうにかつながるようになったのでお邪魔しましたσ(゚ー^*)
オンボロだからまたイカレるかもしれません(´∵`)
とりあえずコメントのお礼と挨拶だけですがm(__)m
好きかもです^^
柚姫 なんか柚姫イエズス会に異常なほど反応するww
ここら辺の授業はまともにやってた覚えがありますww
あっ初書き込みです♪
これから先柚姫が気に入ったのがあったらまたコメします★
嫌いな勉強のところは理解できないから

でわ^^
柚姫のブログにも来てくださいね~
さすらい こんにちは。
鎖国が200年も続いたのは
たいしたもんですよねえ。
応援♪
カトリックvsプロテスタント?
オバrev 娘の通っている学校は、カトリック系ですが、そのライバル校?はプロテスタント系です。
旧約聖書の授業があって、定期テストもあるので、その内容を覚えなきゃいけないそうです。
しかしカトリックはかなり弾圧されてましたが、結局両方とも広まって現在に至ってるんですね。
345mamaさんへ
黒田裕樹 > ブログにご訪問いただいてありがとうございます。
こちらこそコメント有難うございます\(^o^)/
> 歴史が好きなわたし
そうなんですね。345mamaさんのご期待に応えられるかどうか分かりませんが、励みになります!
> また☆お邪魔させてくだいね。
> では失礼します♪♪
はい、また是非お越し下さい(^^♪
marihimeさんへ
黒田裕樹 > お久しぶりというか、PCが不具合を起こしてお邪魔できませんでした。
> もちろん更新も×
> どうにかつながるようになったのでお邪魔しましたσ(゚ー^*)
> オンボロだからまたイカレるかもしれません(´∵`)
大変でしたね。私も経験がありますが、普段使ってるパソコンがおかしくなったら、何にもできないし、不安になりますよね。
> とりあえずコメントのお礼と挨拶だけですがm(__)m
いえいえ、またのお越しをお待ちしております(^o^)丿
柚姫さんへ
黒田裕樹 > なんか柚姫イエズス会に異常なほど反応するww
> ここら辺の授業はまともにやってた覚えがありますww
自分が覚えているところを別の場所で見つけたときは嬉しいものですよね(^_^)v
> あっ初書き込みです♪
> これから先柚姫が気に入ったのがあったらまたコメします★
はい、是非コメしてくださいね(^^♪
> でわ^^
> 柚姫のブログにも来てくださいね~
もちろん行きますよ~(^o^)丿
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 鎖国が200年も続いたのは
> たいしたもんですよねえ。
鎖国が続いたことによるメリットは記事のとおりです。本当に「鎖国」をする意思があって、そのとおりに実践できていれば、手放しで喜べるんですけどね…。
応援感謝です♪
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 娘の通っている学校は、カトリック系ですが、そのライバル校?はプロテスタント系です。
カトリックVSプロテスタントの宗教戦争は血で血を洗う戦いでしたからねぇ。現代でもなにがしか引きずっているところがありますね。
> 旧約聖書の授業があって、定期テストもあるので、その内容を覚えなきゃいけないそうです。
私もカトリック校の出身ですからよく分かります。私の場合は「道徳」が「宗教」になっており、同じような内容になっていました。
> しかしカトリックはかなり弾圧されてましたが、結局両方とも広まって現在に至ってるんですね。
キリシタンは地下に潜って細々と活動していましたし、明治時代になって解禁されましたからね。ただ、宗教全体では両方あわせて1%程度らしいですね。
「鎖国」という言葉が使われたのは、我が国の蘭学者(らんがくしゃ=オランダ語を通じて学んだ学問を研究する人のこと)の一人であった志筑忠雄(しづきただお)が、1801年にドイツ人が書いた著書を和訳した際に、書名を「鎖国論」と題したことに始まります。つまり、19世紀に入ってから初めて「鎖国」という言葉が使われているのです。
この事実が意味しているのは何だと思いますか?
実は、江戸幕府が「鎖国令」という名の正式な命令を出したことは、ただの一度もないのです。私が今回の講座で「鎖国と呼ばれる状態」と繰り返し書いているのもそのためです。
そもそも、初期の幕府には「鎖国」をしているという概念は全くなかったと考えられます。なぜなら、幕府はすべての外国との貿易を禁止したわけではないからです。実際に、同じキリスト教でもプロテスタントで、我が国では布教をしないと約束したオランダや、キリスト教と関係のない中国(当時は清国=しんこく)などとは貿易を行っていました。
つまり、貿易の相手を限定したうえで、長崎の出島(でじま)など特定の場所でしか貿易を認めなかったという、いわゆる「制限貿易」をしていただけなのです。それなのに、この体制がいつの間にか「鎖国」と呼ばれてしまいました。
もし、江戸幕府に「鎖国」をするという明確な意思があったとすれば、必ず「なさねばならないこと」があります。それは 「鎖国」の状態を維持するため、すなわち「我が国の平和と安全を守るため」の様々な政策です。




いつも有難うございます。
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ヒロキ オォー!鎖国論は「志筑忠雄」デスネー!?
布教を禁止する以外には、貿易を制限することで
幕府が貿易を独占して、西国大名の富を増やすのを防いでいる!って聞いたことあります!
相模守高時 なるほど、幕府以外は貿易のうまみを認めないということですね。
それがいつのまにやら鎖国となり。。。
とすれば、尊皇攘夷で揺さぶられた徳川は悲劇です。
ぴーち こんばんは!
イエスズ会といえば、思い出すのは河童頭の
フランシスコ・ザビエルですかねw
鎖国のそもそもの発端は「島原の乱」と記憶しております。
映画の話で恐縮ですが、沢田研二が妖艶に演じた「魔界転生」をふと思い出しました。細川ガラシャとか、そこら辺も^^;
応援凸
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > オォー!鎖国論は「志筑忠雄」デスネー!?
そのとおりです!同じ名前だけあって(?)優秀ですね(^_^)v
> 布教を禁止する以外には、貿易を制限することで
> 幕府が貿易を独占して、西国大名の富を増やすのを防いでいる!って聞いたことあります!
これもそのとおりです。当初の目的どおりだったらまだ良かったんですけどね…。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > なるほど、幕府以外は貿易のうまみを認めないということですね。
> それがいつのまにやら鎖国となり。。。
> とすれば、尊皇攘夷で揺さぶられた徳川は悲劇です。
仰るとおり、悲劇は悲劇なんですが、もし自らがその種をまいたとしたら…。
この講座の今後は、その視点で考えればより分かりやすいかもしれませんね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > イエスズ会といえば、思い出すのは河童頭の
> フランシスコ・ザビエルですかねw
有名人ですね(^^ゞ
カタカナだけなので、試験に出すときはいわゆる「サービス問題」になりがちです(笑)。
> 鎖国のそもそもの発端は「島原の乱」と記憶しております。
鎖国と呼ばれるようになった、最後の引き金となった反乱でしたね。いつの日か紹介できればいいのですが…。
> 映画の話で恐縮ですが、沢田研二が妖艶に演じた「魔界転生」をふと思い出しました。細川ガラシャとか、そこら辺も^^;
さすが映画にお詳しいぴーちさんですね(^_^)v
応援有難うございます!
例えば、対ヨーロッパで唯一の外交窓口であるオランダからは、常に諸外国の動静に関する情報を入手し、結果として我が国が劣(おと)っている部分があれば直(ただ)ちに対応するなどの必要があるでしょう。
また、長崎のように貿易が認められている以外の港には、他の外国船が来航しないように普段から厳しく目を光らせ、そのためにも多数の武士などの兵力を港に常に置くなどの対策があってもよいはずです。
しかし、江戸幕府が実際にやったことは、諸外国からの情報を一切断ち切ってしまったことだけでした。幕府の歴代の当事者たちは「我が国は鎖国をしている。だから外国は攻めてこないし、安全だ」という根拠もない俗説を信じ切り、結果として何の対策もしなかったといっても過言ではないのです。
なぜこんなことになってしまったのでしょうか?
それは、キリスト教禁止のためのやむを得ない対応であった制限貿易が、やがては「鎖国」として定着し、幕府の創設者である徳川家康が積極的に諸外国と貿易をしようと考えていたという事実も忘れ去られて、鎖国が幕府成立以来の 「祖法」 (そほう=先祖の代から守るべきしきたりのこと)と思い込み、ついには絶対化してしまったからなのです。
つまり「鎖国」とは、なしくずし的に「そうなってしまった」のでした。そして、一度「絶対化」してしまった「祖法」は、変更しようとすれば大きな抵抗をともなうようになるのです。




いつも有難うございます。
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MAHHYA 拙ブログに、コメントありがとうございました!
黒田さんのブログ、とても勉強になります。
リンクさせていただいてもよろしいでしょうか?
さすらい こんにちは。
うーん、政策とは時として頑固さをもたらし
あらぬ方向に向かうものですねえ。
今の自民党も変な「祖法」に
固めれているんですかね(笑)
応援♪
ちゃてれ カウンター4000突破しましたね~!
おめでとうございますー☆
あの参加賞とカウンターが4000を突破したお祝いとして、
応援ポチポチポチっとー。
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > 拙ブログに、コメントありがとうございました!
> 黒田さんのブログ、とても勉強になります。
> リンクさせていただいてもよろしいでしょうか?
こちらこそコメント有難うございます!
お言葉、とても感謝しております。リンクの件、喜んでお受けします。
当方からもさせていただきましたので、今後とも宜しくお願いしますね。
さすらいさんへ
黒田裕樹 > こんにちは。
> うーん、政策とは時として頑固さをもたらし
> あらぬ方向に向かうものですねえ。
長い間同じ政策が続くと、それが空気のように当たり前になるんですかね。
民間ではリニューアルが当たり前だというのに、頭が固いんでしょうか…。
> 今の自民党も変な「祖法」に
> 固めれているんですかね(笑)
いわれてみればそうですね(笑)。だからといって、もう一方の政党も党首にあんな疑惑があっては…。
どっちもどっちなのでしょうか?
応援有難うございます!
ちゃてれさんへ
黒田裕樹 > カウンター4000突破しましたね~!
> おめでとうございますー☆
有難うございます!(^o^)丿
3000越えから半月しか経っていないのに、このスピードには正直ビックリするとともに、責任の重さも感じております。
> あの参加賞とカウンターが4000を突破したお祝いとして、
> 応援ポチポチポチっとー。
励みになります。ちゃてれさんもFC2ランキングで1位を続けられますよう、また応援しますね!
ぴーち こんばんは!
「祖法」という言葉を受けて
ですが、宗教もその家毎に
ずっと代々同じ宗派を受け継いで
いらっしゃるご家庭が多いですが
一度、本来の意味合いや、本当に
それを信じていて良いのだろうか・という
疑問を投げかけて、
テコ入れを一度してみるというのも
意義があるものじゃないかと思うときがあります。
ただ何となく先祖からの引き継ぎで、漠然と・・
と仰る方が多いですが、本当の意味合いも知らずに
拝んでいたりするのは、私としては疑問に感じる所ですね。
はい。また、脱線ですか?(汗
所で、4000カウントおめでございます!
これも単に黒田さんの努力の賜物ですね^^
これからも歴史の面白さを伝えて行ってください。
それと、余談ですが、今、私のブログの管理画面に
エラーが出てしまい、お返事がしづらい状態ですので、
また、明日お返事させてくださいね^^
ではでは応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 「祖法」という言葉を受けてですが、宗教もその家毎に
> ずっと代々同じ宗派を受け継いでいらっしゃるご家庭が多いですが
> 一度、本来の意味合いや、本当にそれを信じていて良いのだろうか・という
> 疑問を投げかけて、テコ入れを一度してみるというのも
> 意義があるものじゃないかと思うときがあります。
> ただ何となく先祖からの引き継ぎで、漠然と・・と仰る方が多いですが、
> 本当の意味合いも知らずに拝んでいたりするのは、私としては疑問に感じる所ですね。
転宗も「信教の自由」の一つですからね。仰るとおり、人それぞれの考えがあっても宜しいかと思います。特に現代では俗にいう「葬式仏教」と化していることが多いですからね。
> はい。また、脱線ですか?(汗
…冗談ですよ(^^ゞ
また「ためになる話」を宜しくお願いします。
> 所で、4000カウントおめでございます!
> これも単に黒田さんの努力の賜物ですね^^
> これからも歴史の面白さを伝えて行ってください。
有難うございます。これからも頑張ります!
> それと、余談ですが、今、私のブログの管理画面に
> エラーが出てしまい、お返事がしづらい状態ですので、
> また、明日お返事させてくださいね^^
あらら、ぴーちさんもですか。
私もさっきは調子が悪かったので、PCを再起動させました。
今は大丈夫なようですが…。FC2さんもしっかりしてもらいたいところですね。
今日も応援、有難うございます!
実は、江戸幕府にも自主的に鎖国をやめ、開国に踏み切るチャンスがありました。18世紀後半に田沼意次(たぬまおきつぐ)が老中(ろうじゅう)として政権を握っていた時代に、仙台藩(現在の宮城県)の医者であった工藤平助(くどうへいすけ)が、ロシアの南下への警告や、開港による交易、蝦夷地(えぞち=現在の北海道)の経営などを説いた「赤蝦夷風説考」(あかえぞふうせつこう)を著(あらわ)しました。
意次は平助の意見を採用して蝦夷地の直轄(ちょっかつ)を計画し、幕府による北方調査団を派遣しただけでなく、当時の民間商人が蝦夷地のアイヌを通じてロシアと交易していたのを知ると、意次はこれらの交易も幕府の直轄にしようと考えました。
つまり、アイヌの人々を介してロシアと直接貿易を行おうとしたのです。これは「開国」のきっかけにもなり得る、実に画期的な政策でしたが、残念ながらこの直後に意次が失脚(しっきゃく)してしまい、計画は幻に終わりました。
その後、工藤平助の影響を受けた林子平(はやししへい)が「海国兵談」(かいこくへいだん)を書いて我が国の海岸防備の必要性を説きましたが、意次の後を受けて老中となった松平定信(まつだいらさだのぶ)は、これを抹殺(まっさつ)してしまいました。もし意次が政治の実権を握っていれば、子平の意見は採用されていたことでしょう。返す返すも残念な話です。




いつも有難うございます。
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marihime 黒田さんこんばんは☆
いつも訪問&コメントありがとうございますσ(゚ー^*)
第二回歴史講座のお話は、参加者の方もきっと満足されたのじゃないかと思います。
早すぎるかもしれないけど、戦国時代のことも受講者が喜ぶんじゃないかしら?
余計なことでしたね(汗)
marihimeさんへ
黒田裕樹 > いつも訪問&コメントありがとうございますσ(゚ー^*)
> 第二回歴史講座のお話は、参加者の方もきっと満足されたのじゃないかと思います。
お蔭様で、参加者の方々からは好評でした。リピーターになって下さることを先方から仰った方もおられますし、有難いことと思っております。
> 早すぎるかもしれないけど、戦国時代のことも受講者が喜ぶんじゃないかしら?
> 余計なことでしたね(汗)
8月あたりから、その「戦国時代」がしばらく続く予定ですよ。
詳しくは4日あたりに書きますね。
江戸幕府は、18世紀後半からロシアなどの諸外国が開国を求めて来航しても、徹底して無視を続けました。そればかりか、フェートン号事件(1808年)をきっかけに1825年には外国船を問答無用で撃退(げきたい)するという異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)を出し、日本人漂流民(ひょうりゅうみん)を送り返すためにやってきたアメリカの民間商船モリソン号を攻撃するという事件も起きてしまいました(1837年、モリソン号事件)。
1776年に建国されたばかりのアメリカは、当初は我が国への侵略の意図はなく、捕鯨船(ほげいせん)の寄港地や対中国貿易の中継地とするために、我が国と友好的な関係を持ちたいと考えていました。
こうしたアメリカの思惑を事前に知っていれば、それなりの対応ができたであろうはずが、実際に幕府が行ったのは、「鎖国」を理由に諸外国の事情を知ろうともせず、民間船であろうが法令どおり問答無用で打ち払ってしまうという、明らかな失政でした。
さらに、この当時に鉄でできた蒸気船(じょうきせん)が発明されたことにより、海に囲まれた我が国は、それまでの「天然の防壁」から一気に「どこからでも狙われる大変危険な国」に成り下がってしまっていたのでした。大砲などの強い攻撃力を持つ蒸気船は、海上のどこからでも狙い打ちできるからです。
ヨーロッパで唯一江戸幕府と貿易を行っていたオランダは、1844年の「オランダ風説書」(ふうせつがき)で「蒸気船が発明されたから開国したほうがいいですよ」と親切にも幕府に勧告してくれました。
このときに幕府が開国を直ちに決断していれば、また違った道もあったかと思われますが、結局はオランダからのせっかくの勧告を「なかったこと」にしてしまいました。もし江戸幕府に少しでも「常識」があれば、考えられない対応です。
しかし、幕府は「祖法」を変更することを徹底的に嫌い、常に問題を先送りしてきたのでした。そうこうするうちに、幕府が今までの「ツケ」を一気に払わなくてはならなくなる日がやって来ました。




お蔭様でカウンターが4000を突破しました! いつも有難うございます!
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Tの字 はじめまして。ランキングからやってまいりました。
小6の娘が今年から日本史を習っていますが、見事に混乱してしまっています(ToT)
今小学校ではあまり年表を使わないらしいので、余計混乱に拍車が掛かっています。
黒田さんは「高校生にもわかりやすく」とおっしゃいますが、流れがわかりやすく、言葉も優しくて、もしかするとうちの娘にもわかるかも、と期待しています。
出来れば、「ぜんぜん面白くな~い!」と苦しんでいる鎌倉・室町時代なども取り上げて下さいませんでしょうか。(室町はともかく、鎌倉時代に入る頃がつまらないなんて、いったいどうなっているのかものすごく不安です。)
勝手なことを書き連ねましたが、他の記事も読ませていただき、とても面白かったので、厚かましくお願いしてしまいました。
また読みに来させて頂こうと思います。よろしくお願いします。m(__)m
MAHHYA リンクいただき、ありがとうございます!
まさに、末期の幕府は「鎖国」の亡霊に縛られてしまった感がありますね…。
Tの字さんへ
黒田裕樹 ご訪問&コメント有難うございます!
私のブログは当初は高校生向きで始めましたが、リンク先で中学生の方が増えてきましたので、彼らにもわかりやすいようにと心がけています。娘さんにお分かりいただけるかどうかは正直分かりませんが、もしお分かりであれば有難いことですね。
このブログは原則として編年体、つまり時代を追いながら話を進めていますので、今のペースだと鎌倉時代にはいつたどりつけるのか、残念ながら見当がつきません。
ただ、今月18日の本物の歴史講座では「源義経」を取り上げる予定ですので、平安~鎌倉の時代の移り変わりについて、少しは説明できるかもしれません。講座の内容は後日公開しますので、しばらくお待ちいただければと存じます。
尚、鎌倉時代が面白くない理由としては、貴族→武士への政権の移り変わりが今ひとつ分かりにくいからかもしれませんね。18日の講座では、そのあたりも取り上げてみたいと思います。
今回はせっかくご訪問いただきながら、満足の行く回答ができなくてすみません。今後もご訪問いただければ幸いです。
過分のお言葉、今後の励みになります。有難うございます!
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > リンクいただき、ありがとうございます!
こちらこそ、これからも宜しくお願いします!
> まさに、末期の幕府は「鎖国」の亡霊に縛られてしまった感がありますね…。
そうですね。でも自分で自分を縛っているところが何とも…。
まぁ、こうなってしまったのには、他にも理由がありそうな気がします。
アメリカでは、モリソン号事件を教訓として、日本に対しては友好的よりもむしろ強硬(きょうこう)な態度で接した方がよい、と判断しました。
そこで1853年に、ペリーが黒船4隻(せき)を率いて浦賀(うらが)沖に現れ、黒船の威力を我が国に見せつけたうえで、翌年には日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結ばせて強引に開国させ、さらに1858年には日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)を結ばせることに成功しました。
日米修好通商条約は、外国側の治外法権(ちがいほうけん=外国人が国内で罪を犯しても日本人が裁けないこと)を認め、我が国に関税自主権(かんぜいじしゅけん)を認めない(注:追記を参照)という、著(いちじる)しい不平等条約でした。
幕府はアメリカの他にもロシアやイギリス、フランス、オランダと同じような不平等条約を結ばされました。後の明治政府がこれらの不平等条約を改正するのに、実に50年以上の長い月日をかけているのです。




いつも有難うございます。
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さすらい こんばんは。
歴代の外務大臣の尽力は大きかったですね。
現代でも外交は
はっきりした態度をとって欲しいと思います。
応援♪
ぴーち 出ましたね!「太平の眠りを覚ます 蒸気船・・・・・・」
この時代は、外国人が国内で罪を犯しても
然るべき処罰は出来なかったんですか。
今は、日本で悪行を行った者がその罪を免れる為に自国へ逃亡すると
その罪が無効になってしまうようですが、それもなんだか怖い話ですよね。
また日本に入国する際、指紋を縫い合わせたりして
変えてくるんですもん。。そこまでして日本は良い国かな~?
たった四杯で、夜も眠れず・・・・・・
たまに濃いお茶も飲んでみたいと思う私です^^
では、応援凸
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 歴代の外務大臣の尽力は大きかったですね。
> 現代でも外交は
> はっきりした態度をとって欲しいと思います。
仰るとおりです。江戸幕府からの最大級の「負の遺産」を、よくぞ払拭してくれましたが、本来は「しなくても済んだ」ものですからね…。
現代では、逆に「苦労しないように」外交を続けているような気がします(´・ω・`)
応援、有難うございます!
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 出ましたね!「太平の眠りを覚ます 蒸気船・・・・・・」
> この時代は、外国人が国内で罪を犯しても
> 然るべき処罰は出来なかったんですか。
そのとおりです。治外法権による最大の悲劇は、明治時代のノルマントン号事件ですね。
この事件がきっかけで、国民世論が一気に盛り上がりました。
> 今は、日本で悪行を行った者がその罪を免れる為に自国へ逃亡すると
> その罪が無効になってしまうようですが、それもなんだか怖い話ですよね。
> また日本に入国する際、指紋を縫い合わせたりして
> 変えてくるんですもん。。そこまでして日本は良い国かな~?
せっかくの指紋押捺が無意味になってしまいますね。
我が国はそれだけ「おいしい」国なんですよ。目先の景気変動しかみていない国民よりも、外国から見た方が、この国のありようがよく分かるかもしれないですね。
> たった四杯で、夜も眠れず・・・・・・
> たまに濃いお茶も飲んでみたいと思う私です^^
濃いお茶はもちろん、高級なお茶を飲みたいものですね(^^♪
応援、有難うございます!
いつの間に(゚Д゚)
オバrev げげっ!ちょっと忙しくて黒田先生のブログ見ないうちに、家光のころの話が、いつの間にか黒船来航になってるエー
それにしても、一旦結んだ条約を変えるっていうのは大変なんですね。
やはり外交においては主張すべきところは主張せんといけんのですねぇ。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > げげっ!ちょっと忙しくて黒田先生のブログ見ないうちに、家光のころの話が、いつの間にか黒船来航になってるエー
ご訪問有難うございます。一日2回の更新なので、ずいぶん時代が進んでしまいました(笑)。
> それにしても、一旦結んだ条約を変えるっていうのは大変なんですね。
> やはり外交においては主張すべきところは主張せんといけんのですねぇ。
そうなんです。ただ、主張しようと思えば、聖徳太子のようにあらゆる方向から情報を仕入れたうえで、国益にかなう決断力が必要でしょうね。江戸幕府はあまりにもドロナワ式でした…(>_<)
相模守高時 自らの意思で国を開いていたらどうなったでしょうか。
幕府はもっと早くぶっつぶれていたかもしれませんね。
関税自主権もさることながら、チョンマゲ、ハラキリの国の法律で裁かれるのは欧米諸国は嫌だったのでしょうね。
う~ん
h.hamauzu おはようございます。
不平等条約、
ふと、ブッシュ前大統領の顔が浮かんできたのはなぜだろう?
いまでも不平等だらけってことかも知れませんね・・・
ヒロキ 欧米諸国のように法制度が整ってない日本に治外法権は認められないっていうのが主張なんでしょうね。
考えてみれば、法制度が整ってない国に裁かれたら大変な事になりそうなので無理もないですが。。。
だから明治政府は必死に欧米諸国のマネをしたんでしょうね。
不平等条約を撤回する為にー。。。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 > 自らの意思で国を開いていたらどうなったでしょうか。
> 幕府はもっと早くぶっつぶれていたかもしれませんね。
そうですね。つぶれるにしても、現実のようにボロボロになってつぶれるか、あるいは発展的に解散して、幕府組織を残した新政府が誕生したのか…。興味が尽きませんね。
> 関税自主権もさることながら、チョンマゲ、ハラキリの国の法律で裁かれるのは欧米諸国は嫌だったのでしょうね。
欧米諸国にとって、自分たちの認知した文化以外はすべて「野蛮」ですからね。信長クラスの指導者がいれば、武力などで黙らせることができたかもしれませんが…。
また、幕府は黒船来航の際に初めて、我が国の軍事力などの国力が諸外国よりかなり劣っていることを思い知らされました。いや、正しくは「分かっていたはずなのに無視し続けていた」のです。戦国時代に数十万の鉄砲と兵士を所有し、世界一の軍事力を誇っていたという、我が国のかつての面影は、もはやどこにも残っていませんでした。
そして開国以来、我が国は白人による植民地化と隣り合わせという危機のもと、不平等条約という大きなハンデを負いながら、血のにじむような努力で近代化を強引に進めなければならなかったのです。
幕末の大混乱がかえって国内の団結を生み、明治維新後に我が国が富国強兵(ふこくきょうへい)の道を一心不乱(いっしんふらん)に歩み、結果として短期間で世界の一等国にまでなったという事実があるのは確かです。
しかし、だからといって「しなくても済んだ苦労」をする必要はないはずですし、そもそも鎖国が「祖法」であるという有り得ない話や、我が国は海に囲まれて安全であるという根拠のない話を勝手に信じ込んだ幕府に、ほんの少しでも外交能力があれば、こんなことにはならなかったはずなのです。
なしくずしの「鎖国」は、結果として我が国にとって「痛恨」かつ「屈辱」の歴史をつくってしまいました。
これを「悲劇」といわずして何というのでしょうか?
(第2回歴史講座「『鎖国』という名の悲劇」はこれで終わりです)




いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
そうですよね。
鎖国がなければ違う歴史もあったでしょうね。
よく、織田信長や坂本竜馬、伊藤博文が
殺されていなければ日本は違っていた。。。
なんて歴史ミステリーなどやっていますが
そういうのも含めて鎖国も
日本が今日育つ基礎になっていたかも知れません。
もっと後で講義されると思いますが
太平洋戦争の愚かさは我々にも直接的に
感じることもできるのに
それ以前の日本の愚行や悲劇は
なかなかわかることができないので
こうした黒田さんのような講義は勉強になりますね。
応援♪
えめる 外からの情報を遮って、井の中の蛙と化してしまった日本。
一気に大海に投げ出されて、わらをもつかむ心境で必死に進んできたという感じなのかニャ。
ひと言で鎖国といっても、内情は実にドラマティックでした~。
現代でも、聖徳太子の精神を見習わなきゃね。
と、ここのおかげですっかり聖徳ファンになっている私です。
楽しく勉強させて頂きました。ありがとう。
さすらいさんへ
黒田裕樹 仰るとおりで、歴史というのはある偶然や、そのときの選択によって全く別物になってしまうことがあります。私たちの人生がそうであるように。
その意味でも、歴史から「この時に違った選択をしていれば?」という考えを持つことは、過去の教訓を生かす意味でも重要ですし、歴史勉強の醍醐味でもありますね。
応援有難うございます!
えめるさんへ
黒田裕樹 > 外からの情報を遮って、井の中の蛙と化してしまった日本。
> 一気に大海に投げ出されて、わらをもつかむ心境で必死に進んできたという感じなのかニャ。
> ひと言で鎖国といっても、内情は実にドラマティックでした~。
大海に放り込まれて生死の境をさまよいながら、良くぞここまで近代化ができたものだと先人の努力に敬服するとともに、「何もこんな目にあわなくても…」という思いもします。まさにドラマチックですね。ノンフィクションだけに重みがあります。
> 現代でも、聖徳太子の精神を見習わなきゃね。
> と、ここのおかげですっかり聖徳ファンになっている私です。
> 楽しく勉強させて頂きました。ありがとう。
そうですか。えめるさんもファンになって下さいましたか。
できることならば、聖徳太子の自作小説を是非書いて欲しいですニャ(^^♪
けん爺ちゃん こんにちは(^ワ^)
鎖国編、読ませて頂きました。
確かに、初期はシャムやルソンと盛んに
貿易してたのが、いつの間にか閉鎖的、硬直的な
国風に変わってしまいましたよね。
ペリーが来る事も、
1年前からわかっていながら、あの対応…
仰る通り、少しでも外交能力があれば
もう少しまともな対応も可能でしたでしょうに…。
キリスト教への警戒感から始まった鎖国状態は、
文物の流入制限・監視、幕藩体制の維持へと
意味合いが変遷していき、祖法と呼ばれるまでに至った訳ですね。
明治維新後、欧米視察団の大久保利通が
『我が国は100年は遅れている』
と嘆いた状況は、本当にしなくても済んだ苦労ですよね…。
清き流れより、田や沼が暮らしやすかったでしょうに…(- -)
ヒロキ むかしは海に囲まれてることで攻められにくかったですが、船の技術が上がってくれば話は別ですよね。
立地的にも日本は都合のいい場所だから、欧米諸国から狙われてますよね。。
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 コメント有難うございます。
仰ること、誠にそのとおりです。すべては江戸幕府の失政…。
いや、修正は可能だったんです。それをよってたかって潰してしまった上層部の無能…。
政治がダメだと、亡国の危機を招くという典型例でしょう。
このときは、明治維新で何とかカタチはつくれた。ひるがえって、現代はどうなのでしょうか。
国と国民の益になるための政策を考えている政党はあるのでしょうか…。
ヒロキさんへ
黒田裕樹 > むかしは海に囲まれてることで攻められにくかったですが、船の技術が上がってくれば話は別ですよね。立地的にも日本は都合のいい場所だから、欧米諸国から狙われてますよね。。
仰るとおりです。「天然の防壁」が無意味になった瞬間に、我が国は欧米諸国の東アジアの侵略に向けての「格好の拠点」と化してしまったんですよ。
彼らの要望(というより脅迫)に反対する方法はただ一つ。彼らの攻撃力に対抗できるだけの防衛力を身につけること。しかし、現実はあまりにもシビアでした…。
得たものと失ったもの
オバrev 江戸時の鎖国によって得たものと失ったものがあると思います。
日本で通用しても世界で通用しない常識や外交力というものは、完全に思考停止状態が長年続いてしまって、我々の中に染みついてしまったんじゃないでしょうか。大きな損失でしょう。
それが未だに尾を引いていて、経済がグローバル化した今となって、さらに欠点がより大きくクローズアップされてきているような気もします。
当時、もっと海外と交流していたら、世界の情勢も把握できて、日本文化や思考も変わって、その後の大戦なども違う方向にいってたかもしれませんね。
逆に得たものは、日本独自の文化や、出る杭は打たれる、横並びで、ある意味平等で平和な島国根性?
オバrevさんへ
黒田裕樹 冷静かつ正確な分析、有難うございます。
>日本で通用しても世界で通用しない常識や外交力
まさに「日本の常識は世界の非常識」ですよね。鎖国のイメージを未だに引きずっているからなのか、この「原則」が分かっていない人が多いような気がします。国内向けと国外向けとで、アピールが違うのは当然だと思うのですが…。
こうして考えると、得たものよりも失ったもののほうがあまりにも多すぎるような気がしますね。なしくずしでなく、ビジョンを持った鎖国であればまだ良かったと思うのですが…。