さて、綱吉の功績は生類憐みの令だけではありません。綱吉によって「悪政」とされている他の事項についても考察してみましょう。
まず柳沢吉保による「政治の私物化」ですが、これは全くの誤りです。吉保の立場はあくまで側用人であり、老中からの意見をまとめて綱吉に報告し、意見をうかがうことがその主な業務でした。実は、このシステムは綱吉自身が考えたことなのです。
家康の独断によって始まった江戸時代の政治でしたが、第2代将軍の徳川秀忠(とくがわひでただ)以後は老中が意見をまとめて将軍に決裁を依頼し、将軍が事実上何の意見も述べずに承認するという形式が続きました。聖徳太子(しょうとくたいし)による「話し合いの精神」というわけではないですが、世の中が平和な頃は家柄や身分で政治を行ってもそれほど大きな問題にはならなかったからです。
しかし、世の中が変革を必要としているときは、その道に詳しいものでないと政治を任せられません。たとえ身分が低い者であっても、優秀であれば登用したいのですが、従来の「話し合い」による身分秩序ではどうにもなりません。そこで綱吉は、大老の堀田正俊が暗殺された後に、老中のうえに側用人を置いて、彼をワンクッションとして将軍自身の意見が通るようにシステムを一新したのです。
このような天才的なシステムを発想できるというのも、綱吉の素晴らしい一面ですね。さて「世の中が変革している」と先ほど書きましたが、綱吉の治世の間には、少なくとも2つの改革が必要でした。一つは生類憐みの令による武士や庶民の意識の変革でしたが、もう一つとは何だったのでしょうか?




いつも有難うございます。
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JJSG 政治、統治として、自分の意見をしっかり反映できるようにワンクッション置くアイデアはすばらしいですね。
さて、もうひとつとはなんだろな???
先生、わかりません!!
JJSGさんへ
黒田裕樹 「話し合いの精神」を重視する関係で、独裁者を嫌う傾向が我が国にありますから、ワンクッションを置くという綱吉の発想は私も素晴らしいと思います。
江戸時代の初期に盛んに行われた事業の一つに新田開発(しんでんかいはつ)がありました。世の中が平和になったことで人口が増加し、大勢の人を食べさせるために新たな開墾(かいこん)が必要になったからです。それ以外にも人々の暮らしの向上のために多くの道路や橋などが造られました。これらのいわゆる公共事業の資金には農民からの税が充(あ)てられ、当時は収穫の70%が税となる「七公三民」が当たり前でした。
しかし、新田開発が限界に達して、公共事業も一段落すると、それまでの多額の納税が不要となり、税率が少しずつ下がっていきました。一説によれば、綱吉政権の末期には「三公七民」状態であったとされています。農民や庶民の暮らしが向上したことで、それまでは生活に余裕のなかった自給自足の生活から、消費経済、さらには貨幣経済の暮らしへと変化していきました。
世の中が減税となれば、人々の暮らしに余裕が生まれます。余裕のある暮らしの中から、多くの人々は「遊び」を求めるようになり、そのニーズに応える形で様々な「文化」が生まれます。冒頭で述べた元禄文化も、このような状況から生まれ、栄えたのでした。
景気が良くなってモノが売れれば、それに見合うだけの貨幣も必要になりますが、実はこの頃、江戸幕府の所有金銀は底をついていました。オランダや中国との貿易で我が国から輸出できる目ぼしいものがなかったことで、幕府は所有の金銀を惜しげもなく支払いに使っていましたが、やがて金山や銀山からの発掘量が激減してしまい、貨幣を発行しようにも金銀が不足するという有様になっていたのです。
こうした非常事態に、綱吉は経済に詳しかった荻原重秀(おぎわらしげひで)を抜擢(ばってき)して、彼に経済対策を一任しました。重秀は綱吉の期待に応え、同じ一両でも金の含有率(がんゆうりつ)を従来の84%から57%に落とすことで貨幣の量を増やし、従来の小判と同じ一両として引き換えることで、含有の金の量の差がそのまま幕府の収入につながるという、まさに一石二鳥(いっせきにちょう)の策で乗り切りました。なお、この時に発行された小判を元禄小判(げんろくこばん)といいます。




いつも有難うございます。
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JJSG 新田開発でしたかぁ。
しかしながら、経済も発展して、文化も発展して、いろいろとやったんですねぇ。
すばらしい将軍なのに。。。
なんで、お馬鹿将軍になっちゃうのかなぁ。。。
ぴーち こんばんは!
金の含有量を減らすとは、合理的な策を考えだしましたね^^
最近の経済危機にも、確かに
素材の容量はそのまま、でも、含有率を低下させた
物が商品化されて、出回っているものが多いですね。
やはり、危機的状況の時は、それなりの対処が必要になって来ますね。
それでは、只今、お留守中だろうと思いますが、
応援させてくださいw
トップで国は変わる
オバrev ひょとして、黄金を産出する国、ジパングと呼ばれていたのはこの頃ですかね?
日本も昔は、現在の南アフリカのような国だったのかもしれませんね。
噂によると、ドル安の中、中国始め各国は金保有率を高めていますが、日本は敗戦国のため、金保有率が制限されているそうです。今やっとDDPの2%?
しかし、実は表に出ない金を、徳川幕府以来保有しているという噂もあるけど、真実は分かりません(^^;)
いずれにしてもトップの考えで国の状態は大きく変わると言うことは確かですね。
こんばんは
安眠癒しグマ いつも勉強させていただいております。
私の地域では今インフルエンザが流行っています。
私も今日の夕方からゾクゾクします><
黒田さんも気をつけてくださいね。
ポチ♪
miwa 綱吉さん今まで誤解していて本当にごめんなさい。
と言いたいですね。
過去の話とは言え、この日本で政治経済を担う座にいる方が
政治的手腕を振るう話を聞くのはとても癒されます。
Good Job!
オバrev 2ndコメになりますが、綱吉はやり手ですね。
金の含有量を落とすとは、金本位制を半分破棄するようなものですが、アイデアとしては素晴らしいです。お見事です。
しかし江戸時代ってのは、大きな戦争のない時代で、現代と共通するところは大いにあるんじゃないでしょうか。
marihime 黒田さんこんばんは☆
一言だけ書かせてもらいますね。
柳沢吉保はただの側用人ではなかったと思っています。
綱吉の評判を落としたのも柳沢吉保が大きく関わっていると思います。
側用人から大老になり、大名にまでのしあがったのは吉宗の腰巾着大岡忠相の息子大岡忠高の2人だけです。
私は綱吉の政策をゆがめたのは大老の地位を利用した柳沢吉保じゃないかと思うのですが?
JJSGさんへ
黒田裕樹 治安が良くなって、生きていく余裕ができれば、自然と生活のレベルの向上を目指すものですからね。その手助けをするのが政治の役目であれば、綱吉の政策は理にかなったものといえるでしょう。
> なんで、お馬鹿将軍になっちゃうのかなぁ。。。
いずれは明らかにしますが、もう少しお待ち下さいm(_ _)m
ぴーちさんへ
黒田裕樹 質を下げた商品というのは一般的に敬遠される傾向がありますが、値段のことを考えれば受け入れるのもひとつの選択肢ですよね。
ましてや貨幣は本来は質や量とは無縁のものですから(これについては次回の更新で明らかにします)、経済の危機に対して現実的かつ柔軟な対応ができると思います。
先ほど帰ってまいりました(笑)。お気遣い、有難うございます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 何度もコメント下さって有難うございます。まとめてコメ返させていただきますね(^^♪
「黄金の国ジパング」と呼ばれていたのはマルコ=ポーロの時代ですから、13世紀の頃からですね。ただ、戦国時代後期から江戸時代前期にかけては、海外からもたらされた鉱山技術の進歩もあって、我が国が有数の金銀産出国であったのは事実です。しかし、資源はやはり限りあるものですから、綱吉の時代には残念ながら枯渇してしまったのです。
「金本位制の半分破棄」とのお言葉、さすがはオバrevさんですね(^_^)v
これに関しては綱吉のアイディアというよりも、彼によって見出された荻原重秀の功績でしょう。彼の真意については、次回以降の更新で明らかにします。
確かに江戸時代は幕末まで大きな混乱はなかったですから、現代と共通する要素がありますね。ただ、今の状況は綱吉の時代というよりも、どちらかといえば「黒船来航前夜」の雰囲気が漂っているような気がします(´・ω・`)
ところで、小判の質が下がったことで物価が上昇する、いわゆるインフレーションによって庶民が大迷惑を受けたという説が残っていますが、実はこれも誤りです。
この時代のインフレの主な原因は、むしろ物資の供給不足にありました。好景気で急増する都市人口に対応できるだけの物資がなかなかそろわなかったのです。また、仮にインフレで物価が上昇しても、景気が良ければ賃金も一緒に上がりますから、庶民のダメージは大きくなかったどころか、全体の金回りが良くなったことによって生活の余裕がさらに生まれ、元禄文化が栄えたもう一つの原因となったのです。
なお、貨幣の価値が下がったことに対する幕閣からの批判に対して、荻原重秀は「幕府が一両と認めるのであれば、たとえ瓦礫(がれき)であろうと一両の価値に変わりはない」と述べています。瓦礫を紙切れに換えれば、私たちが使用する紙幣と同じですよね。
「お金の信用はその材質ではなく、裏打ちとなっているのは政府の信用である」という考えを、20世紀の経済学者であるイギリスのケインズよりも200年以上も早く先取りした重秀の先見の明(せんけんのめい)には、ただただ脱帽するばかりです。
このように、綱吉が次々と打ち出した多くの政策は、人々の意識を「人命を尊重する思いやりの精神」に改め、景気を良くして元禄文化の全盛をもたらし、また思い切った人材登用は、様々な問題にも即座に対応できる政治体制を作り上げました。




いつも有難うございます。
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紗那 うわー・・・
なんかめちゃくちゃ誤解してました!
ほんと申し訳ない感たっぷりです。
貨幣の質→インフレって学校で習った気がするのに・・・!
ちょっと学校の先生にこの内容テストしてみますっ!
確かに、政府の信用っていうのは今と同じ考えですねー。これはもう、僕の尊敬する歴史上の人物に投入決定です!
聞けば聞くほど
JJSG こんにちは。
聞けば聞くほど、素晴らしい政策をした将軍ですね。
そして、実行力があり、判断力もあり、斬新で大胆で、思い切りがよくて、発想力もあって。。。
いいことづくし。
今のところ。。。
紗那さんへ
黒田裕樹 綱吉公に関しては、確かに「誤解のオンパレード」というところがありますね。
インフレーションと一口に言っても、我が国のかつての高度経済成長期(昭和30~40年代)がそうであったように、物価と一緒に収入も上がれば、景気を刺激して良い効果を生むこともあるんです。ただ、景気が悪化しているのにインフレーションになると(これをスタグフレーションといいます)、これは本当に厄介ですが。
「政府の信用」で貨幣を発行する、という考えが完全に定着したのは20世紀になってからです。それまでは金本位制が世界の主流でしたからね。この考えに200年以上も前にケインズの理論に到達する経済官僚が我が国に存在していたという事実は本当に凄いと思います。
JJSGさんへ
黒田裕樹 綱吉公は、現代の視点から考えれば、確かに「いいことづくし」の将軍です。
ところが、治世中の評価はどうだったのか…。少し先走りましたが、いずれ紹介します。
馬人 どうも訪問ありがとうございます!
元禄文化あたりは授業で習っている真っ最中なので興味深いです^^
歴史は苦手なのでこういうブログを発見して助かりました。
インフレーションって、元禄文化が栄えたひとつの出来事なんですね…!
逆の説を言っている先生に説明しなければw
もしよろしければ相互リンクをお願いできますか?
馬人さんへ
黒田裕樹 こちらこそコメント有難うございます(^o^)丿
ちょうど学んでおられる箇所でしたか。それは良かったです。
「インフレ=悪」という図式が頭の中で完成されていると、元禄小判への改鋳がどうしてもマイナスの印象しか頭に浮かばないのですが、真相は上記のとおりです。他の方のコメントにも書きましたが、昭和30~40年代における我が国の高度成長と流れがそっくりそのまま同じですからね。好景気が続いた時代には「昭和元禄」という言葉が使われたくらいですし。
相互リンクの件、大歓迎です。これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
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インフレの力
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
現在、デフレ不況で、増税という流れになっていますが、
そんな時、綱吉の政策のインフレ政策を思い出しました。
政府は、税金と社会保障の一体化で、税金を
上げないといけないと言っています。
国民もそうかなと思っていますが、
今の政府って、徳川吉宗が、儒教と商行為の呪縛にかかっていたのと同じように
北欧型の社会にする=増税という表面的なことしか考えていない気がします。
この前、北欧のデンマークの本を読みました。
デンマークは、所得税は50%、消費税は25%です。
政治家は、それで、日本の消費税は、低すぎると言っているのですが、
デンマークは、その代わり、インフレの国で
物価も高いですが、給与も高いです。だから
国民は、納得しています。
これって、黒田先生が綱吉のインフレ政策で
物価も上がっているけど、給与も上がっているから、庶民は、困ってなかったというのと同じですよね。
しかも、綱吉は、年貢の率を下げました。
今でいう減税です。
もしかしたら、今の政府って、綱吉よりも、
ど素人かもしれませんね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、経済のイロハを分かっていませんね。
分かっていないというよりも、わざとやっているとしか…。
まさか国民をなめているとでも?
ここまで振り返ると、綱吉はどう考えても「名君」であり、これまでの悪評が信じられなくなりますよね。では、なぜ綱吉は現代に至るまで「暗君」であると「誤解」され続けているのでしょうか?
原因の一つとしては、生類憐みの令による当時の庶民や武士からの不評があったのは確かです。長い目で見れば国民の意識を劇的に転換する大事業であったとしても、当事者にとってはそれまで当たり前だったことが出来なくなったり、それまで食べられたものが禁止されたりすることで、不満があったことは疑いありません。
しかし、悪評の原因がそれだけとはどうしても考えられません。生類憐みの令とは無関係なはずの柳沢吉保や、貨幣改鋳で幕府の危機を救った荻原重秀までもが同じように悪評にさらされている現実を考えれば、綱吉を暗君とする原因の根はもっと深いものと考えなければならないようです。
では、その原因の根本とは何なのでしょうか?
実は、綱吉に原因を求めるにはあまりにも酷(こく)な「アクシデント」が立て続けに起きていたのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!酷なアクシデントですか(@@
何でしょう・・・・
例えば、どんなに美男美女でも、運と華が無いと
俳優や、モデルになれないと言われますが、素材は
良くても運が味方をしてくれない時は、スポットライトは
当たらなどころか、弾かれてしまう場合もあるわけで・・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 素材は良くても運が味方をしてくれない時は、スポットライトは当たらないどころか、弾かれてしまう場合もあるわけで・・
そのとおりです。綱吉公も素晴らしい政治をして下さったのですが…。
管理人のみ閲覧できます
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はは
JJSG じらしますねぇ(笑)
JJSGさんへ
黒田裕樹 いえ、そういうつもりはないのですが…(汗)。
明日の更新以降ではっきりすると思います。
馬人 アクシデントですか^^;
うーん。気になります。
「生類憐みの令」以外で何があるのか…。
相互リンクの件ありがとうございます!^^
えめる うぅ~ん。怪しい感じニャ。
だれかが綱吉を貶めようとしているんでしょうかニャ。
いつの世も、裏でワルい奴が糸を引いていて……。
あー、次回が待ち遠しいニャ。
歴史の再評価で、今までの常識が覆されていきますね。
発明家と呼ばれた人たちも、裏を返せば
人の発見成果を横取りした、ずるい人だったり。
もうびっくらこ。
世の中の価値観も少しずつ変化するときなのかなーなんて思いました。
馬人さんへ
黒田裕樹 「生類憐みの令」はまだ綱吉自身に原因があるといえますが、アクシデントの方は…。
詳しくは明日(2日)の更新をご覧下さい。
こちらこそ有難うございます(^^♪
えめるさんへ
黒田裕樹 > だれかが綱吉を貶めようとしているんでしょうかニャ。
> いつの世も、裏でワルい奴が糸を引いていて……。
それも確かにありますが、明日(2日)紹介するのはある意味「防ぎようがない」というのか…。
> 歴史の再評価で、今までの常識が覆されていきますね。
> 発明家と呼ばれた人たちも、裏を返せば
> 人の発見成果を横取りした、ずるい人だったり。
> もうびっくらこ。
> 世の中の価値観も少しずつ変化するときなのかなーなんて思いました。
私もそう思います。もともと人間の一生が「100%」の善悪でしか評価できないというのが無理がありますからね。「悪人」扱いされた人々の名誉回復につながるのであれば、価値観の変化も歓迎すべきではないでしょうか。