中国大陸の先進的な政治制度や文化を学ぶために多くの留学生が唐へ渡り、特に吉備真備(きびのまきび)や僧の玄ボウ(げんぼう・注)は、帰国後に我が国の政界で活躍しました。
白村江の戦いを経て我が国との国交を回復させた新羅でしたが、8世紀に入ると新羅が我が国と対等の態度を示すようになり、両国の関係が悪化した一方で、貿易の利を求めて民間商人たちによる交易が引き続き行われました。
また、698年には旧高句麗(こうくり)領を含む中国東北部に渤海(ぼっかい)が建国されました。渤海は唐や新羅と対立することが多く、我が国へ支援を求めて神亀4(727)年に使節を派遣して国交を求めたのをきっかけとして友好的な関係が結ばれ、日本海では交易が活発に行われました。まさに「敵の敵は味方」ですね。
(注:玄ボウの「ボウ」の字は正しくは「日+方」ですが、機種依存文字のためにカタカナで表記しています)
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養老(ようろう)元(717)年に吉備真備らが入唐(にっとう)した際、彼らに同行していた阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)が唐の超難関の試験である科挙(かきょ)に合格し、後に唐の高い役職を歴任しました。詩人の李白(りはく)と親交を持ち、また唐の皇帝の玄宗(げんそう)の厚い信任を得ましたが、才能が高かったゆえに、皇帝がなかなか仲麻呂の帰国を許しませんでした。
やがて、入唐した遣唐大使(けんとうたいし)の藤原清河(ふじわらのきよかわ)らの要請によって、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)5(753)年にようやく仲麻呂の帰国が許されましたが、清河らとともに彼を乗せた船が無情にも暴風雨にあって難破し、安南(あんなん、今のベトナム)に漂着しました。
命からがら長安まで戻った仲麻呂はその後もついに帰国することなく、神護景雲(じんごけいうん)4(770)年に唐で73歳の生涯を閉じました。
そんな彼が残した望郷の和歌は「小倉百人一首」にも取り上げられ、長く我が国で知られています。
「天(あま)の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠(みかさ)の山に いでし月かも」
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仏教を学ぶ際に重要であった戒律(かいりつ)を日本に広めるために、我が国の留学僧が鑑真を訪問しました。鑑真は弟子たちに「誰か日本に渡る人はいないか」と問いかけましたが、誰も手を挙げようとしないので、「それなら私自身が行く」と自らの渡日(とにち)を決意しました。
しかし、鑑真のような高僧が日本へ渡るということは、大変な苦難を伴いました。弟子たちの密告などによってことごとく失敗し、ようやく船に乗ったと思ったら嵐にあって難破してしまいました。5度にわたる渡日に失敗するうちに、鑑真の両目は失明状態になったと伝えられています。
752(天平勝宝4)年に遣唐大使の藤原清河らが来唐し、翌年に帰国する際に、鑑真は船に同乗させてくれるよう依頼しましたが、渡日を許さない玄宗皇帝の意を受けた藤原清河はこれを拒否しました。
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鑑真は我が国に戒律の他に彫刻や薬草の知識を伝え、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建して我が国に留まり、天平宝字(てんぴょうほうじ)7(763)年に76歳の生涯を終えました。ちなみに、彼の死後に造られた彫像(ちょうぞう)は我が国最初の肖像彫刻(しょうぞうちょうこく)とされています。
余談ですが、大伴古麻呂は唐における753(天平勝宝5)年の新年の儀式の際に、我が国の席次が新羅より下になっていることに対して猛烈に抗議し、結果的に席次を入れ替えさせたというエピソードが残っています。
席次の件といい、また鑑真を密かに渡日させたことといい、気骨(きこつ)ある人物でなければ外交官は務まらないのは今も昔も同じなのかもしれませんね。
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