白鳳文化は天武天皇・持統天皇の時代を中心とした、律令国家が形成されようとする意気込みが感じられる若々しい文化でもありました。
この時代までに朝廷の儀式が充実し、天皇が即位された年に行われる新嘗祭(にいなめさい)である「大嘗祭(だいじょうさい)」など、現代まで続く国家の儀式が整えられました。また、皇祖神(こうそしん)である天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる伊勢(いせ)神宮も整えられ、荘厳(そうごん)な造りの木造神殿が建てられました。
なお、伊勢神宮では約20年ごとに神殿などを建て替える儀式である「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が、690年の持統天皇の時代に始められてから今日まで1300年以上も続いています。
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朝廷が仏教の力によって国家を鎮護(ちんご)しようとする傾向が強まったことから、大官大寺(だいかんだいじ、後の大安寺=だいあんじ)や薬師寺(やくしじ)など官立の大寺院が造営されました。このうち薬師寺東塔(とうとう)は奈良時代に再建されたものですが、白鳳期の建築様式を現在に伝えているとされています。
朝廷による仏教への熱心な姿勢によって、この頃までに地方豪族も競って寺院を建立(こんりゅう)したことで、仏教が全国へ急速に展開していきました。
遣唐使によってもたらされた初唐文化の影響を受けた当時の彫刻では、伸びやかな表情を持つ興福寺仏頭(こうふくじぶっとう)や、薬師寺金堂(こんどう)の薬師三尊像(やくしさんぞんぞう)及び東院堂(とういんどう)の聖観音像(しょうかんのんぞう)、法隆寺(ほうりゅうじ)の阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)や夢違観音像(ゆめたがいかんのんぞう)などの金銅像(こんどうぞう)が知られています。
絵画では、インドなどの影響を受けた法隆寺金堂壁画(へきが)や、鮮やかな彩色(さいしき)が特徴の高松塚古墳(たかまつづかこふん)壁画が有名です。なお、法隆寺金堂壁画は昭和24(1949)年の火災で一部を残して焼失しましたが、その前に模写が描かれています。
文芸面では、チャイナの教養を受けた漢詩文の創作が重要視されたほか、我が国古来の歌謡から生まれた和歌も五七調の長歌(ちょうか)や短歌(たんか)の形式が整えられ、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)や女性の額田王(ぬかたのおおきみ)らがそれぞれ格調高い歌を今に伝えています。
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