例えば聖徳太子の母親が臨月の際に馬小屋の前で産気づいたため、彼が生まれた後に「厩戸皇子」と名付けられたという話がありますが、同じように「馬小屋の前で母親が産気づいた」とされるイエス=キリストとの共通性に興味を惹(ひ)かれます。
他にも、幼少時から抜群に有能であったため、10人による全く別々の話を同時に聞き分けることができたということなど、聖徳太子には様々な伝説があるのですが、それらがあまりにも浮世(うきよ)離れしていることを理由に「聖徳太子は実在しなかった」とか「聖徳太子の業績は大半がつくり話だ」などという学説も出てきています。
実は、このような流れを受けたからなのか、我が国の義務教育たる小中学校において、聖徳太子の存在が「消されそうになった」という事実をご存知でしょうか。
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次期指導要領は翌3月末に告示され、小学校は令和2(2020)年度、中学校は令和3(2021)年度から全面実施されることになりました。
しかし、新たに公表された次期学習指導要領の中学社会の歴史的分野において、一般常識的に見てもどうしても首を傾(かし)げざるを得ない内容が含まれていたため、大きな論議を呼ぶことになったのです。
これまで紹介したように、6世紀末から7世紀前半にかけての政治家であり、推古天皇の皇太子でもあった聖徳太子は現代の我が国を形づくった英雄として、およそ1400年もの長きにわたり日本国民に慕(した)われ続けてきました。
ところが、新たに公表された次期学習指導要領には「『聖徳太子』は没後使われた呼称に過ぎないため、歴史学で一般的な『厩戸王(うまやどのおう)』との併記にする」と書かれていたのです。具体的には、伝記などで触れる機会が多く人物に親しむ小学校では「聖徳太子(厩戸王)」と、史実を学ぶ中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記するとされていました。
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拓殖大学客員教授を務めた藤岡信勝(ふじおかのぶかつ)氏は、平成29(2017)年2月23日付の産経新聞の「正論」欄において、今回の学習指導要領の改訂案における聖徳太子の表記について「国民として決して看過できない問題」であると指摘したほか「日本史上重要な人物で、日本国家自立の精神的よりどころとなった聖徳太子の名を歴史教育から抹殺しようとしている」と厳しく批判しました。
今回の改定案では、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」と、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記するとされていますが、藤岡氏は「小学校ではこの表記の前後を入れ替えて『聖徳太子(厩戸王)』と教えることにするという。学校段階に応じて『厩戸王』という呼称に順次慣れさせることで『聖徳太子』の呼称をフェイドアウトさせる。周到な『聖徳太子抹殺計画』といえるだろう」と述べています。
そして、今回のような改定案が発表された背景には「今から20年近く前に、日本史学界の一部で唱えられた『聖徳太子虚構説』と呼ばれる学説」があると指摘し、この説の根拠が乏(とぼ)しいにもかかわらず「文科省は、この珍説が歴史学界の通説であるととらえてしまったようだ」と断じています。
さらに、藤岡氏は「この説は日本国家を否定する反日左翼の運動に利用されているのであり、その触手(しょくしゅ)が中央教育行政にまで及んだ結果である」「聖徳太子の抹殺は日本国家を精神的に解体させる重大な一歩である」と指摘しており、今回の改定案に警鐘(けいしょう)を鳴らしました。
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「主張」では「国民が共有する豊かな知識の継承を妨(さまた)げ、歴史への興味を削(そ)ぐことにならないだろうか。強く再考を求めたい」と最初に指摘したほか、今回の改定の理由である「聖徳太子は死後につけられた呼称で、近年の歴史学で厩戸王の表記が一般的である」見解についても「国民に親しまれ、浸透している名は聖徳太子である。厩戸王は、学年の理解度により、併せて教えればいい。小中で教え方が異なる理由もよく分からない。聖徳太子が一般的なことを自ら認めるようなものではないか」と述べています。
また、大阪の四天王寺(してんのうじ)や奈良の法隆寺(ほうりゅうじ)をはじめとした全国各地の聖徳太子ゆかりの寺院の存在を「現在もなお、太子を信仰したり敬慕(けいぼ)したりする善男善女でにぎわっている。それは、日本の仏教史や精神文化史などを顧(かえり)みる上で極めて重要なことである」と肯定的に評価しています。
さらには、同じく没後に諡(おくりな)をされた弘法大師(空海)を例に挙げて「弘法大師の名を知らなければ、全国各地で盛んな大師信仰を理解することはできない」と指摘しました。
そして、末尾で「厩戸王を教えるだけでは歴史は細切れの無味乾燥のものとなり、子供は興味を抱くまい」「厩戸王が後に聖徳太子として信仰の対象となり、日本人の心の持ち方に大きな影響を与えた。それを併せて教えればよい」「時代を貫いて流れるダイナミックさを知ることこそ、歴史を学ぶ醍醐味(だいごみ)ではないだろうか」と述べて「聖徳太子」の重要性を強く訴えました。
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文科省が改定案公表後にパブリックコメントを実施したところ、呼称の変更に批判的な意見が多かったほか、教員からも「小中で呼称が異なれば子供たちが混乱する」「指導の継続性が損なわれる」といった意見が出ていたそうです。
こうした状況を踏まえ、文科省は小中ともに聖徳太子の表記に統一し、中学では日本書紀や古事記(こじき)に、聖徳太子の本名である「厩戸皇子」などと表記されていることも明記する方向で調整することになりました。
そして、平成29(2017)年3月31日に公示された新学習指導要領において、小学校では「聖徳太子」の表記がなされ、中学校では「『聖徳太子の政治』を取り上げる際には、聖徳太子が古事記や日本書紀においては『厩戸皇子』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになったことに触れること」と付け加えられました。
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私が歴史教育の世界に身を投じて、これまでに積み重ねてきた講演を振り返ってつくづく思うのは、いわゆる「プロパガンダ」は近現代史だけとは限らない、ということです。
物事には「プラスとマイナス」があり、また「光と影」があります。それは歴史においても例外ではなく、両方をバランスよく学ぶことで「本当の歴史」をはじめて理解できるはずです。
しかし、今の歴史教育は、あまりにも「マイナス」や「影」の部分を強調し過ぎではないでしょうか。一方的な記述は必然的に物事の歪(ゆが)みをもたらすのみならず、歴史を通じての「物事の本質を自分の力で見抜く」という貴重な機会を永遠に奪われてしまいかねません。
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