かくして「格下げ」されてしまった毛利家は、新たな城を交通の便の良くない山陰側の萩(はぎ)に築くことを強制されたり、江戸幕府で普請(ふしん、土木工事のこと)が行われる際に自費で手伝わされたりするなど、散々な目にあいました。
毛利家の家臣たちは、自分らが受けなければならない仕打ちを悲しみましたが、主君である輝元の凡庸さが没落の原因であると批判できなかったので、非情な処分を行った江戸幕府をむしろ深く恨むようになりました。時代が下るにつれて恨みは代々受け継がれ、毛利家にはいつしか以下のような「伝説」が生まれました。
参勤交代(さんきんこうたい)で本国に帰った毛利家の殿様が国元で迎えた正月の夜明け前に、家老と二人だけでお城の天守閣に登ると、家老が殿様に言いました。
家老「江戸征伐の準備が整いましたが、いかがなさいますか?」
殿様「まだその時期ではない、やめておけ」
もちろん実際には江戸征伐など当時は夢のまた夢でしたが、徳川家への怨念が積もり積もっていくうちに、毛利家は幕末の頃には「長州藩」(ちょうしゅうはん)という討幕(とうばく)の雄藩(ゆうはん)として薩摩藩(さつまはん)とともに君臨するようになりました。
※上記は今回までの内容に関連する映像です。尚、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
動画を食い入るようにw拝見させていただきました^^
いやいや。。思わず力説に拍手をお送りさせていただきたくなりましたよ^^
そうですね~
個人では素直さは得をすることでも、外交や戦いでは
相手の良いようにされてしまうのがオチですよね。
確かに日本の外交政策は、常にそんな状態で外国から
良いようにあしらわれているように思います。
今回も「ユキオ・オバマ」と呼び合う信頼関係が、どうぞ表面上だけに終わらなければと良いと祈るばかりですが・・。
応援凸
また、お邪魔しますね~^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 力強いご声援、有難うございます!
本物の講座では、こうした「文章で表せない」数々の考えをありのまま伝えられるのが強みだと思いますし、また今回の毛利家の講座で私が一番訴えたかった箇所でもあります。
素直を額面どおり受け取れないし、受け取ってはならないのは日本人として悲しいですが、祖先が命がけで守ってきた我が国ですから、私たちの代で終わらすようなことがあってはなりません。
せっかく(?)毛利家という生きた「教訓」があるのですから、私たちはそれを活かさないといけない。それがまた「歴史を学ぶ」ことの重要性でもあるのです。
今の鳩山首相にそこまでの理解があるのかどうか…。私たちも彼の今後を慎重に見守っていきたいものですね。
けん爺ちゃん こんばんは(^ワ^)
毛利家の記事、拝見させて頂きました。
当初は小領主に過ぎなかったんですね。毛利家の興隆と、その後の衰退の流れが初めて掴めました。
もし大阪城で、輝元が抗戦の腹を決めていたら、日本の歴史は随分変化していたかも知れませんね。
記事を拝読しつつ、歴史のIFに思いを馳せております。
気のせいかもしれませんけど、
前回と比べて講義中の先生の様子が
板に着いてきたように見えました(^^)
続きを楽しみにしてます!
けん爺ちゃんさんへ
黒田裕樹 > 毛利家の記事、拝見させて頂きました。
> 当初は小領主に過ぎなかったんですね。毛利家の興隆と、その後の衰退の流れが初めて掴めました。
有難うございます。「歴史の流れ」で見ると、栄枯盛衰がくっきりと浮かび上がってきますよね。でも、まだ終わらないんですよ(笑)。
> もし大阪城で、輝元が抗戦の腹を決めていたら、日本の歴史は随分変化していたかも知れませんね。
> 記事を拝読しつつ、歴史のIFに思いを馳せております。
そうなんですよね。島津に続いて毛利も弱体化できなかった江戸幕府は、成立当初から磐石な体制を築くことができずに、その後の歴史の流れが流動的になった可能性すらあります。そういった「歴史のif」を考えることは楽しみであり、また必要であると思います。
> 気のせいかもしれませんけど、
> 前回と比べて講義中の先生の様子が
> 板に着いてきたように見えました(^^)
> 続きを楽しみにしてます!
だったらいいんですけど(^^ゞ
まぁ元教師ですし、いずれは復帰したいですから、もっと精進しなければいけませんね。
また、毛利家の江戸幕府に対する積年の恨みは、松下村塾(しょうかそんじゅく)を開いた吉田松陰(よしだしょういん)から桂小五郎(かつらこごろう、後の木戸孝允=きどたかよし)や高杉晋作(たかすぎしんさく)、伊藤博文(いとうひろぶみ)、井上馨(いのうえかおる)、山県有朋(やまがたありとも)といった優秀な人材を生み出しました。
彼らの活躍によって、夢のまた夢であったはずの討幕(とうばく)が現実のものとなったばかりでなく、明治維新(めいじいしん)を経て我が国が有色人種(ゆうしょくじんしゅ)でありながら短期間で近代化に成功し、世界の一等国として欧米と肩を並べるまで成長する原動力になったのです。
毛利元就という英雄が一代で築き上げた広大な領地は、彼が心配したとおりに孫の輝元によって大幅に減らされてしまうという悲劇となりました。しかし、その結果が皮肉にも約260年後に討幕の原動力になり、やがては我が国の近代化に貢献することになるのですから、歴史の流れというのは本当に不思議なものですね。
毛利家の栄枯盛衰は、我が国の戦国時代から幕末につながる歴史をつくった「陰の主役」でもありました。自己の子孫とその家臣たちが徳川家康の子孫を倒していく光景を、元就はどんな思いで見つめていたのでしょうか。
(第5回歴史講座の記事はこれで終了です。本日(28日)の18時には今回の講座全体の講評について書きます)
※上記は今回までの内容に関連する映像です。尚、講座のすべてに関する映像も配信しております。




いつも有難うございます。
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MAHHYA 今回もとっても勉強になりました!
毛利元就、すごい人物ですね…。
確か、天下取りに動き始めたときは、40前後だったと記憶してましたが…。
江戸幕府への怨念が、幕末まで続いた、そして、一から明治維新を作りだしたのが、薩長だったというのも、歴史の壮大さを感じさせます!
ぴーち こんにちは!
なるほど、今でもそう言う話を耳にしますよね。
一代で財を成し遂げたお爺ちゃんのその孫が
一代で食いつぶした話^^;
それにしても、昔からやはり大和民族の優秀さというのは、際立っていたんですね!
ゲルマン民族、ユダヤ人も優秀だと聞いたことがあります。
余談ですが、黒田さんのプロフを参考に、似顔絵を描かせていただきました^^
似て無い!!等の突っ込みOKですので、一度、ご覧いただければ、幸いです^^
それでは、応援凸
ケンシロウ こんにちは。
日本人を有色人種と表現をすることを
今の若者は知っているのだろうか?
おいらは・・・普通よりちと濃いですw
萩の奇跡
オバrev 結局徳川幕府を倒し、新しい日本を作っていった元は、毛利なんですね。歴史を長い目でみると、また違った見方ができますね。
それにしても、あの萩の田舎から、日本を動かす逸材が数多く輩出されたのは奇跡としか言いようがありません。いくら毛利家の怨念があったとは言え凄いです。
私は萩の奇跡と呼んでいます(^^;)
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 > 今回もとっても勉強になりました!
> 毛利元就、すごい人物ですね…。
> 確か、天下取りに動き始めたときは、40前後だったと記憶してましたが…。
尼子家を謀略で破った吉田郡山城の戦い(1540~41年)の頃がちょうど40歳過ぎですから、仰るとおりですね。考えてみれば今の自分の歳と変わらないんですよね…。
> 江戸幕府への怨念が、幕末まで続いた、そして、一から明治維新を作りだしたのが、薩長だったというのも、歴史の壮大さを感じさせます!
本当にそうですよね。薩摩藩も関ヶ原の戦いで本領を安堵されたとはいえ、いわゆる「負け組」であることに変わりはないですから、同じく怨念を持っていましたからね。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > なるほど、今でもそう言う話を耳にしますよね。
> 一代で財を成し遂げたお爺ちゃんのその孫が
> 一代で食いつぶした話^^;
「不肖の孫」はよく聞く話ですよね。輝元の場合もその「法則」から逃れられなかったということでしょうか…。
> それにしても、昔からやはり大和民族の優秀さというのは、際立っていたんですね!
> ゲルマン民族、ユダヤ人も優秀だと聞いたことがあります。
私もそう思います。逆境のたびにはね返す力を持った民族ですよね。今回の「百年に一度の不況」からは脱出できるのでしょうか。いや、それよりも…。
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 > 日本人を有色人種と表現をすることを
> 今の若者は知っているのだろうか?
> おいらは・・・普通よりちと濃いですw
言われてみればそうですね…。人種差別がなくなりつつあるのは喜ばしいことですが、過去には「差別されてきた」という歴史を知ることは重要だと思います。私は…普通でしょうか(^^ゞ
およよのよ お久しぶりです。
覚えていらっしゃるでしょうか。
今回更新が中々出来ず。それでもカウンターが回ってて更新する気やる気が無いのに置いておくのも申し訳ないな、と思いブログを削除させていただきました><
ごめんなさい。
ブログも毎日確認してるのですがコメントも面倒くさくなってしまって…。
でも毎回楽しく読ませてもらってます。
そういえば歴史も現代に近づいてきてますけど歴史が一通り終わったら先生的にはどうするおつもりですか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 結局徳川幕府を倒し、新しい日本を作っていった元は、毛利なんですね。歴史を長い目でみると、また違った見方ができますね。
仰るとおりでして、長い目で見ないと気づかない「歴史の落とし穴」でもあります。長州藩や薩摩藩がなぜ討幕できるほどの力を持っていたのかが説明できなければ、本当の歴史教育とはいえないでしょうし。
> それにしても、あの萩の田舎から、日本を動かす逸材が数多く輩出されたのは奇跡としか言いようがありません。いくら毛利家の怨念があったとは言え凄いです。
怨念というか、人間が感情を持て余しているときには普段以上の力が出てくるのでしょう。そして、そんな状態のときにこそ「救いの神」となるべき人物が現れるものですよね。ただ、その「救いの神」は時代に選ばれすに終わってしまうことが多いのも悲しい現実です。
> 私は萩の奇跡と呼んでいます(^^;)
「萩の奇跡」…いい言葉ですね!
教師復帰の暁には是非使わせていただきます!(^o^)丿