やがて、北からはマンモスやヘラジカが、南からはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物が行き来するようになり、それらの群れを追ってやって来た人々が約40000年前頃から日本列島に住み着き、現代の日本人の祖先になったと考えられています。
当時の人々は小さな集落をつくり、打製石器やそれを使ってつくった道具などを用いて、動物を集団で落とし穴や沼地などに追い込んだりして獲物(えもの)を捕るなどの狩猟や漁労(ぎょろう)、あるいは植物性食料の採取(さいしゅ)の生活を営んでいました。
なお、当時の主な打製石器としては、刺突具(しとつぐ)または刃物と考えられるナイフ形石器や槍先(やりさき)となる尖頭器(せんとうき)、刃部(じんぶ)を部分的に研磨(けんま)した石斧(せきふ)、あるいは極めて小さい石器を木や骨の柄(え)にはめこんで組み合わせて使う細石器(さいせっき)などがあります。
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発掘された石器が約35000年前~25000年前のものと判明したことによって、我が国にも考古学上の旧石器時代が存在したことが明らかになり、その後も全国で発掘調査が行われた結果、今では全国で10000か所以上の旧石器時代の遺跡が発見されています。
なお、全国での発掘調査の結果、日本人の起源を知るうえで重要な手がかりとなる人骨も発見されており、約18000年前の静岡県の浜北人(はまきたじん)や約22000年前の沖縄県の港川人(みなとがわじん)のほか、沖縄県石垣島(いしがきじま)の白保竿根田原洞穴(しらほさおねたばるどうけつ、または「しらほそねたばるどうけつ」)遺跡からは約27000年前の人骨が発見されています。
ちなみに、相沢氏が発掘した打製石器は黒曜石(こくようせき)で出来ていました。黒曜石は槍先やナイフなどの鋭い刃(は)を持つ道具をつくる重要な材料でしたが、火山帯でしか産出しないなど生産地が限られていることから、当時からすでに広い地域を結ぶ交流があったことが分かります。
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これらのうち、日本の旧石器時代では打製石器を使用していたとされ、通常の学習もしくは将来の大学あるいは高校入試などに関してはそのように覚えて差し支(つか)えありません。
しかし、実は岩宿遺跡で刃先(はさき)に磨きをかけた石斧である「局部磨製石斧」と呼ばれる世界最古(約35000年前)の磨製石器が発見されています。
要するに、我が国からは世界最古クラスの磨製石器が出土しているのです。しかも、それだけではなく縄文(じょうもん)土器も同じく世界最古クラスであることが分かっています(詳しくは後述します)。
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