日本列島に私たちの祖先がたどりつき、暮らし始めるまでには実に長い年月がかかりました。約700万年前から600万年前の、地質時代でいう新第三紀の中新世(ちゅうしんせい)後期にアフリカに現れた人類の祖先は猿人(えんじん)と呼ばれています。
初めは森の中で暮らしていましたが、やがて気候の変動で森が減ってくると草原へ出て、二本足で歩くことを覚えるようになったと考えられています。いわゆる「直立二足歩行(ちょくりつにそくほこう)」ですね。
歩行の役目から自由になった前足は手へと進化し、様々な道具を両手で使いこなすようになりました。また、直立したことで身体が頭を垂直に支えるようになり、脳の大型化も可能となりました。
現在、最古の人類はアフリカのチャドで2001年に頭蓋骨(ずがいこつ)のみが発見されたサヘラントロプス・チャデンシス(=トゥーマイ猿人)とされており、この他、約400万年前にアフリカに出現したとされるアウストラロピテクスも知られています。
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原人としてはホモ・ハビリスやホモ・エレクトゥスが知られており、なかでもホモ・エレクトゥスは石を打ち欠いただけの打製石器や火の使用を始め、広い地域を移動しながら狩猟(しゅりょう)や植物採集を行ったほか、たがいの意思を伝えることばを発達させたと考えられています。
ホモ・エレクトゥスの例としては東南アジアのジャワ島に現れたジャワ原人や、中国大陸に現れた北京(ペキン)原人が有名ですね。ちなみに、これらの原人は骨の発見地から命名されています。
また、先述した火の使用の根拠として、北京原人の洞窟(どうくつ)遺跡から焚(た)き火の痕跡(こんせき)が見つかっています。なお、打製石器を使い、狩猟や採集をして暮らしていた時代を旧石器時代と呼びます。
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なお、死者を埋葬したと考えられるのは、人骨とともに大量の花粉が発見されているからです。旧人はヨーロッパから西アジアにかけて住み、氷期に適応した生活を送りました。
その後、約20万年前のアフリカに現在の人類の直接の祖先となる新人(しんじん)が現れました。別名を「ホモ・サピエンス(=知恵のある人)」とも呼ばれる新人は、現代ヨーロッパ人の祖先とされるクロマニョン人が知られています。
新人は約10万年前にアフリカから出て、アメリカ大陸を含むほぼ全世界に住み着くようになりました。彼らが描いたとされるフランスのラスコーやスペインのアルタミラなどの洞窟壁画はユネスコの世界文化遺産として登録されています。
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