大統領の訃報(ふほう)を耳にした鈴木首相は、当時存在した同盟通信社の記者の質問に答えるかたちで「大統領の死がアメリカ国民に対して意味する大きな損失は私にはよく同感できる。深い哀悼(あいとう)の意をアメリカ国民に向けて送るものである」との談話を発表しました。
我が国の同盟国であったドイツのヒトラーが、ルーズベルト大統領の死に際して誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の言葉を並べ立てたのとは対照的な、敗色濃厚の窮地(きゅうち)に立ちながらも品位と礼節を失わなかった、武士道精神の発露(はつろ)たる鈴木首相の言葉は、世界中から称賛されました。
なお、ルーズベルト大統領の急死を受けて、副大統領のトルーマンが新たに大統領に就任しました。
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鈴木内閣は、表向きは本土決戦などの強硬策を唱えながら、その裏では密(ひそ)かに戦争終結を図ろうと努力していました。しかし、交渉がなかなか進まない間に、アメリカのトルーマン大統領とイギリスのチャーチル首相、そしてソ連(現在のロシア)のスターリンが、7月にドイツのベルリン郊外のポツダムで、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談を行いました。これを「ポツダム会談」といいます。
会談を受けて、7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国の3か国による「ポツダム宣言」が発表されました。当時はソ連が対日戦に加わっていなかったため、中華民国を加えることでカムフラージュしようと考えたのです。
なお、鈴木内閣はソ連が参戦の決定をしていたことを見抜けず、ソ連に対して和平の斡旋(あっせん)を要請していました。このあたりにも、当時の我が国の情報戦における決定的な敗北、インテリジェンスの欠如(けつじょ)が見受けられます。
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いつの時代であろうとも、天皇なくして我が国の将来は有り得ません。このため、我が国ではポツダム宣言を受けいれるかどうか、態度を明確にしないまま連合国の出方をうかがうことにしたのですが、この裏には、アメリカによるとんでもない謀略が隠されていました。
実は、当初の宣言文には「日本が降伏すれば天皇の地位を保証する」と書かれていたのです。駐日大使の経験者で我が国の実情をよく知っていたグルーによって、我が国が宣言に応じやすいようにつくられていたのですが、土壇場(どたんば)でアメリカ大統領のトルーマンが削除しました。
トルーマンが削除した宣言が発表されたことによって、アメリカは宣言以前に決まっていた計画を実行に移しやすくなったのです。その計画こそが、悪名高い「原子爆弾の日本への投下」でした。
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我が国が降伏寸前であったにもかかわらず、まるで実験を行うかのように原爆を2つも落としたアメリカによる暴挙は、国際法上でも決して許されることのない、民間人などの非戦闘員を対象とする空前の大虐殺(だいぎゃくさつ)です。
さらにはアメリカの原爆投下に慌(あわ)てたのか、ソ連がそれまでの日ソ中立条約を一方的に破って8日に我が国に宣戦布告し、9日から満州(現在の中国東北部)北部などへの侵攻を開始しました。
このままでは北海道をはじめとする我が国北部の領土がソ連に奪われてしまいます。我が国はまさに絶体絶命の危機に陥(おちい)ってしまったのでした。
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会議は鈴木首相の他に、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣など合計7人で行われ、東郷外相は宣言の受諾を、阿南陸相はいわゆる本土決戦も辞さないと徹底抗戦をそれぞれ主張し、いつまで経っても平行線が続きました。
やがて日付も10日に変わり、開始から2時間経ったある時、鈴木首相は立ち上がって昭和天皇に向かい、こう言いました。
「出席者一同がそれぞれ考えを述べましたが、どうしても意見がまとまりません。まことに畏(おそ)れ多いことながら、ここは陛下(へいか)の思(おぼ)し召(め)しをおうかがいして、私どもの考えをまとめたいと思います」。
首相による発言をお受けになって、昭和天皇はお言葉を発せられました。
「それなら意見を言おう。私の考えは外務大臣と同じ(=ポツダム宣言を受諾する)である」。
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「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」。
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」。
「それにこのまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことでもある。明治天皇の三国干渉の際のお心持ちを考え、堪(た)えがたく、また忍びがたいことであるが、戦争をやめる決心をした」。
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我が国の条件に対して、連合国側は8月12日に回答を伝えましたが、その内容は「日本政府の地位は国民の自由な意思によって決められ、また天皇の地位や日本政府の統治権は、連合軍最高司令官に従属する」というものでした。
この条件では我が国が連合国の属国になってしまう危険性があり、また何よりも天皇の地位の保証が不完全なままでした。この内容でポツダム宣言を受けいれるべきか、外務側と軍部側で再び意見が対立しましたが、ソ連による我が国侵略の脅威(きょうい)が間近に迫った現状では、もはや残された時間はありませんでした。
そこで、鈴木首相は14日に改めて御前会議を開きました。会議では自らの意見を述べる者も、またそれを聞く者も、すべてが泣いていました。陛下も意見をお聞きになりながら何度も涙を流され、しばしば眼鏡を押さえられました。そして、昭和天皇による2度目のご聖断が下りました。
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ご聖断が下った後、阿南陸相は耐え切れずに激しく慟哭(どうこく、悲しみのあまり声をあげて泣くこと)しました。昭和天皇はそんな阿南陸相に対して優しく声をおかけになりました。
「阿南、お前の気持ちはよく分かっている。しかし、私には国体を護れる確信がある」。
昭和天皇によるご聖断は下りましたが、それだけでは、大日本帝国憲法(=明治憲法)の規定においては何の効力も持たず、内閣による閣議で承認されて、初めて成立するものでした。もし閣議の前に阿南陸相が辞任して、後任者の選任を陸軍が拒否すれば、軍部大臣現役武官制によって鈴木内閣は崩壊(ほうかい)し、ご聖断をなかったことにすることは可能でした。
陸軍内の強硬派は、戦争継続のために阿南陸相に辞任を迫りましたが、阿南は以下のように一喝(いっかつ)しました。
「ご聖断が下った以上はそれに従うだけだ。不服の者あらば自分の屍(しかばね)を越えてゆけ!」
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想像を絶する痛みや苦しみのなか、阿南陸相は介錯(かいしゃく、とどめを刺して楽にすること)を断り、午前7時10分に絶命しました。以下は血染めの遺書に残された、阿南陸相の最期の言葉と辞世です。
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉(たてまつ)ル 神州不滅ヲ確信シツツ」
「大君(おおきみ)の 深き恵に 浴(あ)みし身は 言いのこすべき 片言(かたこと)もなし」
阿南陸相の自害をお知りになった昭和天皇は仰いました。
「阿南には阿南の考えがあったのだ。気の毒な事をした」。
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阿南陸相は昭和天皇のご聖断を確かなものにするため、自ら命を絶つとともに、責任の重さから介錯を断って、最期を迎えるまで苦しみ抜いたに違いありません。
陸軍の最高責任者として、戦争への責任などが何かと問題視される阿南陸相ですが、昭和天皇のご聖断を受けて陸軍全体をまとめ上げ、最後にはすべての責任を一人で取ったその潔い姿勢は、立派なものであったというべきでしょう。
また、陛下の侍従長として長く仕えたことで、昭和天皇とまさに阿吽(あうん)の呼吸でご聖断を導き出し、本土決戦による我が国滅亡の危機や、ソ連の参戦による北海道などの侵略をギリギリのタイミングで防ぎきった、鈴木首相の政治力も素晴らしいものがありました。
国民のことのみを考え、自らを顧(かえり)みずに下された昭和天皇のご聖断の背景には、こうした「忠臣」による我が国への無私(むし、私心や私欲のないこと)の行動もあったのです。
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「終戦の詔書」は御前会議での陛下のお言葉をもとに起草されましたが、その中で最も重要な部分が、実は最後に記されていることを皆さんはご存知でしょうか。
「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)ガ意ヲ体(たい)セヨ」
(現代語訳:我が国民は以上の私の意思に基づいて行動してほしい)
このお言葉があったからこそ、終戦後に連合国軍が上陸しても、軍人は粛々(しゅくしゅく)と武装解除に応じ、国民も黙って現実を受けいれたのです。
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一般邦人の帰国は困難を極め、終戦時にいわゆる外地にあった邦人居留民のうち、ソ連の支配下に入った満州や、北朝鮮からの引揚げの際には多くの犠牲者が出ました。後に横綱に昇進し、国民栄誉賞を受賞した大鵬(たいほう)関も、幼少の頃に命からがら南樺太(みなみからふと)から引揚げています。
ソ連軍は我が国がポツダム宣言を受けいれた後も侵攻を重ね、8月18日には千島(ちしま)列島の北東端に位置していた占守島(しゅむしゅとう)に攻め込みましたが、樋口季一郎(ひぐちきいちろう)司令官の決断によって日本軍が勇敢に戦ったこともあり、北海道をソ連に占領されることは免(まぬが)れました。
しかし、ソ連の理不尽さはこの後も止まることを知らず、占守島上陸作戦の後も南樺太を占領したほか、択捉島(えとろふとう)や国後島(くなしりとう)なども不法に支配し、我が国固有の領土であるはずの北方領土は、いまだにロシアから返還されていません。
加えて、ソ連軍が侵攻した満州や北朝鮮・南樺太・千島列島で武装解除された軍人のうち、60万人近くがシベリアなど各地の収容所に送られるという抑留(よくりゅう)を受け、長期間の過酷な強制労働によって約6万人もの人々が亡くなったという悲劇があったことを、私たちは決して忘れてはならないでしょう。
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開戦前まで長い間アジアを抑圧してきた欧米列強の支配が、大東亜戦争をきっかけに急速に崩壊への道を歩んだからです。緒戦の日本軍の勝利によって、イギリスやアメリカ、オランダの支配から脱出したアジアの諸民族は、日本軍の占領統治を受ける間に独立心を高めました。
そして、我が国の敗戦後に再び植民地として支配しようとした欧米列強と激しい戦闘を重ねた諸民族は、インドネシアのように現地に残った日本軍将兵の協力もあって、次々と独立を果たしたのです。こうした動きはやがてアジアからアフリカ・アメリカ大陸に広がり、多くの国家が独立する流れへとつながっていきました。
大東亜戦争は我が国に敗戦という厳しい結果を課した一方で、戦前からの日本など有色人種の国家にとって悲願であった「人種差別の撤廃(てっぱい)」という大きな理想を実現したといえるのではないでしょうか。
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「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている」。
「今日、東南アジアの諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁(じん)をなした日本というお母さんがあったためである」。
「十二月八日(=大東亜戦争の開戦日)は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭(と)して重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない」。
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それにしても、大東亜戦争に関する我が国の歴史の流れを詳しく学べば学ぶほど、我が日本民族が「極限状態になるまで決断できない」ことをつくづく思い知らされます。
史実において我が国は、昭和天皇の「ご聖断」によって昭和20(1945)年8月15日に終戦を迎えましたが、それ以前に戦争を終わらせることはいくらでも可能だったはずでしたし、何よりも緒戦の段階で講和に持ち込むことができれば、我が国のみならず世界の運命が大きく変わったことでしょう。
振り返ってみれば、我が国が明治維新によって苦難の末に近代国家として生まれ変わった際も、ペリーの来航以前に江戸幕府が自主的に開国するチャンスがいくらでもありましたし、もしそれが実現できていれば、幕末から明治維新にかけての苦難の道のりを歩む必要すらなかったのです。
この流れは、現代でも全く同じです。尖閣(せんかく)諸島や我が国のEEZ(=排他的経済水域)への執拗(しつよう)な干渉、あるいは南シナ海のあからさまな埋め立てといった、中華人民共和国の我が国に対する脅威が現実になろうとしている最中でありながら、憲法改正を早急に成立させられないという現状を憂(うれ)えるとともに、暗澹(あんたん)たる思いにさせられます。
我が国はなぜ同じ過ちを何度も繰り返すのでしょうか。それを「民族の特性」であると断ずるのであれば、あまりにも悲しいではありませんか。先人の思いを無駄にしないためにも、日本民族の輝かしい未来のためにも、今こそ私たちは「歴史」に学ばなければならないのです。
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