例えば東海道新幹線(詳しくは次回の講演で紹介します)は、満州に展開していた「南満州鉄道株式会社(=満鉄)」の技術がなければ実現できなかったかもしれません。戦前において、満鉄の鉄道技術は既に世界一だったのであり、超高性能の蒸気機関車によって牽引(けんいん)された全客車冷房完備の「特急あじあ号」が特に有名でした。
加えて、1960年代の世界では「技術革新(=イノベーション)」が進んで産業が発展したのみならず、IMF体制によって国際通貨が安定し、また人員の完全雇用をめざして財政あるいは金融政策が普及していました。
そんな時期において、我が国は世界における貿易の成長率の約2倍という高さで輸出を拡大して、成長産業の需要を増加させるとともに、輸出によって得た多額の外貨を基本として、生産の増加に必要な原材料や燃料を輸入していました。
また、産業の拡大には燃料の安定供給が欠かせませんが、当時は中東における原油生産が急増し、価格が低下していたため、我が国が推進していた重化学工業化に必要な原材料や燃料を安い価格で入手することが可能だったのです。
※下記の映像は10月15日までの掲載分をまとめたものです。
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